圓佛教の足跡

一円相(○)の真理を大覚なさった大宗師の下には、多くの弟子だちがすぐに集まりました。大宗師は、弟子たちの中で最も信仰心が深い九人の弟子を標準弟子として選び、宗教の門を開き始めました。
まず、貯蓄組合を建てて資金を作り、数年間見捨てられていた不毛の海を防堰して田を作り、新しい圓佛教創立の基礎を立てました。
そして、九人の弟子と共に各自祈祷すべき山を一つずつ決めて、その山の頂上で100日間の同盟祈祷を捧げた後、真理界の認証がありました。
その後、現在の益山市新龍洞に中央総部(本部)を定め、佛敎硏究會という教名で教門を広く開き、世の中に宣布しました。少太山大宗師は、直接圓佛教の基本経典である「正典」と各種の教書を編纂しました。真理の大覚をしてから、28年間教化のために一生を捧げました。
慶尚北道星州でお生まれになった弟子の鼎山(宋奎)宗師が、その後を継承されました。1945年の解放後の混乱な時期であったのにもかかわらず、鼎山宗師は新たに戦災同胞の救護事業も始めました。国家的にも教団的にも難しいことが多かった時代でしたが、これをよくご指導なさり、1962年に涅槃に入られました。
現在は、鼎山宗師の後を継承した大山(金大挙)宗法師が、一つの世界を建設するための活動を積極的に推進しています。
*一つの世界=真理は宇宙全体の一つ
世界も一つ
人類は同じ一つの家族
事業も一つ、大きく見て
すべてが大きな一つに帰一するということ